東京都で発生したパワハラ被害に関する情報がこちらです。
社会福祉協議会が運営する学童保育(東京都)
現在は育児の関係で退職していますが、私は、社会福祉協議会が運営する、学童保育の仕事をしていました。
年度末に人事異動が発表されますが、社会福祉協議会の課長と学童保育のある古株の職員(1名)の仲がよく、正式に人事異動が発表(各学童保育施設に通知)される前に、課長がその職員に情報を流していたのです。
(毎年)その古株の職員も、何も悪びれる様子もなく「誰が異動だか知りたい?知りたい?」と周りに言いふらしていました。
私は、非常に不愉快だったので「結構です。聞きたくないです。」と答えていました。
その後とある事がきっかけで、その職員と私に揉め事が起こり、それ以来、挨拶しても無視されたり、物を勝手に動かされるといった、イジメのようなことに発展してしまったのですが、上の者に相談すれば課長に話しがいってしまうので、相談できずにいました。
結局、ストレスも限界にきていたこと、妊娠したことから「異動願い」ということで課長のもとに私が相談しに行きました。
しかし、そのことすらも課長と仲の良い古株職員に筒抜けになっていたようでかなりショックでした。
東京都の私立大学(東京都)
大学で起きたパワハラを報告します。大学での英語授業での出来事です。
必修科目ではなく、選択授業(しかも夜間)でしたので、生徒数は当初でも7人ほどでした。
授業内容は先生に指示された新聞記事を自分の言葉で翻訳してきて授業内で答え合わせをし、先生が単語や文法等の解説をするという授業でした。
新聞記事の翻訳という事で、単語などが少し難しいこともあり、少し前の話で翻訳機能なども現在ほど発達していなかったので、英語が少しできる私でも一つの記事を正しく翻訳するのにかなり時間がかかりました。
担当の講師の先生(30代後半くらい)の態度は、最初から高圧的で、答えられない生徒に暴言を吐きまくっていました「こんなものもわからないのか!」「はぁ?」「どうやったらそんな翻訳になるんだ!」「もういっぺん言ってみろ」「早くしろよ、聞いてんだよ!」等々・・・。
突っ込まれている生徒が可哀想になるくらい、ひどい言葉で攻め立てていました。泣いている生徒や、怖さで言葉が出ないのでは。という生徒もいました。
このパワハラにより、7人いた生徒も一人また一人と減っていき、最後には私含めとうとう残り2人になってしまいました。
事情があり授業の単位が欲しかった為最後までやり切りましたが、残ったもう一人が怒鳴られていた時にはさすがに私も怒りが抑えきれず「その言い方はないでしょう。こちらも一生懸命やっているのに。」などといってしまいました。
授業が楽しくない先生や、やる気のない先生、少々怖い先生などはいくらでもいますが、心無くあんなに酷い態度を取る先生には初めて出会いました。
パワハラで訴えられたり、恨みをかったりしても仕方ない態度だったと思います。
一部上場外食チェーン(東京都)
私が飲食店で調理長として働いていた時に、会社の上司が個人的な祝い事で宴会をしたいと依頼されました。
その上司から、一人3000円で10名で予約するのですが、数万の肉を出せとか、時間無制限で飲み放題にしろとか、かなり無茶な要求をされましたが、出来る範囲でやりますといって返答しました。
店長と話し合った結果、飲み放題は時間無制限にするけど料理はいつもより内容をよくし、品数も増やしました、4000円コースぐらいの料理をだした記憶があります。
その日は私は公休で2番手の調理師に任せたのですが、次の日に報告を受けると、その上司から「数万の肉はないのか、ハマグリはないのかと」怒られたそうです。
その後上司から、電話がかかってきて私はこっぴどく叱られました、「なんで数万の肉を用意してないんだ」などです。
私は「原価100%をはるかに超えてしまうので、今回はこの内容にしようと私が決めました、申し訳ありません」と謝りました。
周りの従業員は私に同情的で、上司のパワハラでその上司の会社の私物化だから私は悪くないと庇ってくれました。
この件をもっと上の上司に相談しようかと思いましたが、他店の店長や調理長に聞いたところ、こういうことが他の店舗でも日常的に行われているらしく、しかも、そのもっと上の上司も参加していることも多いらしいので、気持ちはわかるけど素直に従ってたほうがよかったと言われました。
さらに上の取締役などに相談することも考えたのですが、そこまでしてしまうと自分の身も危ないと思いためらいました、今思えば、明らかに会社の私物化なので勇気をもって内部告発してもよかったと思います。
T建材(東京都)
私が入社したのは18歳の時でした。
小さな事務所に横に工場がある硝子やサッシを扱う会社なのですが、入社して少し経った頃に、50代の女性事務員から「若いからって調子に乗って男性社員に色目使うなよ」と言われ違和感を感じました。
2名いる他の女性事務員もその50代女性事務員の言いなりで、子分のような感じでした。
それから毎日少しづつ悪口が酷くなり、男性社員と話している際には「死ね」などと言われたりもしました。
そんな状況を見かねて、社長の次のポジションの部長が毎日気にかけてくれるようになりました。
ですが徐々に距離感がおかしくなってきて、毎日のように食事に誘われるようになりました。
毎回断っていたのですがさすがに断りきれくなり1度だけ食事に行くと、食事後「ホテルに行こう」などと言われ、まだ10代だった私はとても恐怖を感じました。
もちろんその件は断りましたがそれから毎日会社の別室に私を呼び出し、顔や体を触ったりしてきました。
毎日毎日いじめとセクハラが続き遂に精神を病んだ私は会社を休職し、社内の雰囲気改善を社長にお願いしましたが、結局全く改善することなく、退職するまで続きました。
アパレル大手KK(東京都)
「K」で有名なアパレルの企業に入社して百貨店でスーツを販売する仕事をしていました。
そこではお店に入ってきたお客さんが何も買わずに退店すると上司に怒られるというガチガチの営業をせざるを得ない環境でした。
ふらっと入店してきた買う意思のないお客さんにも声をかけて頑張って何かを買わせなければいけない!というマインドで仕事自体も凄くきつかったです。
その中で上司のパワハラが特に酷く、ある日お店の売り上げが0の日があり、その日は普段常駐している上司だけではなくエリアマネージャーもいました。
当然上司は私を含める下位の人へ説教。普段はいないエリアマネージャーもいる為、上司の説教はいつも以上に迫力がありました。
胸ぐらを掴まれたりお尻を蹴られたり等の暴力を振るわれていたので、これはやりすぎだと思い私はその上司に「暴力を振るうのはいくらなんでもやりすぎです」と強い口調で言いました。
するとその上司は私の頭にゲンコツを落としてからスタッフルーム行き私のカバンを持ってきてそこら中に中身を撒き散らしだしたのです。あまりの光景に絶句しました。
「気合が足りないから俺に歯向かうんだ」「お前は気合が足りない」と訳の分からない事を私に向かって叫び、そのあと説教が1時間ほど続いてから私は帰路につきました。
次の日私は会社の本社に電話をして昨日起きた出来事を報告して今日から会社を辞めますと伝えました。私のされたことは会社の中でもかなり問題になり、すんなりと辞めれました。
航空会社(東京都)
当時、新人の私に教育係の先輩が一人ついていたのですが、その人からパワハラを長い間受けていました。
当時はこれがこの会社のやり方なんだろうか、新人はみんなこんなに厳しく教育をされるものか、と必死に堪えていました。
しかし、結局心の病気にかかってしまい会社の人に隠れて病院に通わなくてはならないほど症状が悪化していまい、転職をせざるをえなくなりました。
勤務後、毎日のようにオフィスに強制的に残らされ(最高は2時間ほど)、涙が止まらない私を前にその人はひたすらお説教を繰り返していました。
あまりにも日課のようにその状況が続くので同期や仲の良い先輩にもひどく心配されていましたが、先輩には意見が言えないような大変伝統的で日本的な社風の為、助けてくれる人は誰一人いませんでした。
その人だけでなく、その人の同期である同じチームの先輩たちからもフライトで地方に行った際などに食事の場でさんざんお説教をされ、泣きすぎて疲れ果て注文した食事がまったくのどを通らないまま宿泊先のホテルに戻ったこともありました。
本当に心も体もボロボロでした。今思い出すと集団のいじめというような、陰湿な行動を繰り返しされていたと思います。
プライベートについての噂を私が知らない間に先輩方のグループチャットで流されていたことも何度もあります(退職をするときにそれを知らされて本当に恐ろしくなりました)。
退職直前の私は身長160センチに対し体重が40キロを切りそうなほどやせ細ってしまい、あの時転職を決意して本当に良かったと思っています。
お仕事の内容自体は好きなので同業他社に移り続けることができましたが、やはり職場の環境はとても大切だと切実に感じました。
港区にある製薬会社の研究開発部門(東京都)
当時、私は中堅製薬会社の研究開発部門で課長として、新薬の開発に携わっていました。その時の直属の上司(部長)が、パワハラでは社内でも知れ渡っているほどのパワハラの常習者でした。
これまでにも、何人もの若手社員がパワハラを受けて会社を辞めています。
私が開発を担当していた新薬は、元々はそのパワハラ部長が手掛けていたものだったので、特に気にしていたようでした。
しかし、私が部下に命じて開発中の新薬の原価試算をさせたところ、その部長が開発当初にしていた試算結果とは大幅に異なっていたのです。
とても開発するに堪えない原価率だったのです。もし、製品として発売したら、売れば売るほど赤字になってしまうという代物だったのです。
そのことを、部長に提言したところ「何で勝手に原価試算なんかしたんだ。おまえは黙って開発していればいいんだ」でした。
私がこの結果を取締役に報告すると言った途端、その日から激しいパワハラの応酬が始まってしまいました。
意味のない深夜までの残業を命じられたり、部長室に呼び出されて延々と嫌味を言われたり、ボールペンの先で額を突かれたり、足を蹴られたり、それはもう酷いものでした。
当然、提出した報告書はくしゃくしゃにされて目の前でゴミ箱に捨てられてしまいました。
しかし、別の部署の部長がその状況を取締役会で報告したことで、この一件が会社上層部に知れ渡ることとなったのです。
取締役によるヒアリングが行われ、最終的にそのパワハラ部長はラインから外され、取締役の特命案件担当の理事となりました。
「理事」と聞こえはいいのですが、はやい話、島流しです。私たちへの影響力もなくなりました。
東区のヘルパーステーション(東京都)
東区のヘルパーステーションで新しく管理者になった女性の方ですが、ご機嫌ですべてが決まるような方でした。
事務所でデスクワークしかしないその人と、男性社員のヘルパー(体がよわく月の3分の1ほど休む人)、私(訪問に出ていることが多く、合間に事務所で作業)で事務所仕事を行っていました。
年も離れていたので仕事上の付き合いのみでしたし、私も事務所にいる時間がそう長くないので苦痛ではなかったのですが。。。
スピリチュアル系の得意なヘルパーさんとその管理者が仲良くなってから洗脳されたようにさらにおかしくなっていきました。
私が言ってないことを言ったと言いふらされたり、利用者宅へ業務時間外も入り浸っているとありもしない噂を流されたり、自分は訪問しないのに私にどんどん仕事を振ってきたり、1日中無視する、塩をまくなどなど。
仲の良いヘルパーを事務所に常に呼ぶようになりました。
その方からもあなたには悪いものがついているなどスピリチュアル系でマイナスな事ばかりを言われていました。
監査前の書類整理は丸投げされ1か月間ほとんど家に帰れず仕事をしていました。
業務委託・販促キャンペーン会社(東京都)
大阪と名古屋を含めて3支店あるキャンペーン会社にて大阪支店で勤めていたときのことです。
当時、名古屋の支店長が本社へ転勤になると社長の方針で決まり、名古屋支店長の後任を誰にするかという相談で私に話が降りてきました。
まだその時はサブマネージャーという役職で勤めていたのでてっきり支店長に話が来ると思っていましたが、副社長は「大阪支店長は仕事できないから君なら名古屋支店を任せられると思って」という理由でした。
業務命令だったので話は理解できましたが、その後東京出張があったので本社にいる社長と直接話をすることになりました。
しかしながら話は一変、「3ヶ月後に名古屋支店長をやれ。引っ越すのが無理なら大阪支店と名古屋支店と2支店やれ。」と過大業務要求がありました。
私個人としては、ひとり暮らしの経験も無ければ、支店長もやったこともないのでどれだけ先輩社員たちからフォローをもらえるか分からない上、今後の会社の方針も不透明だったので「転勤まで半年の時間猶予をください」と申し立てました。
社長は理解してくれました。その後大阪に戻り、支店長に話をすると「君が名古屋へ転勤するなら僕は転職する」と告げられました。
ある意味、会社全体が全て自分にかかっているとも言える状況だったのでひどく落ち込みました。誰にも相談できない状況でした。
転勤の話が会社全体で広がった時にはみんな退職を検討し始めており、社長と相談してから半年後には、いつの間にか大阪支店は自分と後輩女性社員1名のみになりました。
その後本社と名古屋支店と遠隔で過大業務要求が続き、耐えられなくなったので退職しました。
新宿区行政関係(東京都)
当院では10月に来年度の予算を管財課に提出する必要があります。
私は上司から依頼され、泊まり込みで来年度の予算を作成しました。ルーチン業務が大変忙しく、朝7:00から夜の21:30まで仕事をしないと終わらない状態で、こちらは泊まり込みして仕上げているにもかかわらず、疑問点があるとそのたびに呼び出され、ルーチン業務もおろそかになる状態でした。
何日か後にやっとOKがでたので、正式に体裁を整え印刷して提出したところ、また疑問点がいくつかでてきたようでこれがあれがと重箱の隅をつつくようなことをしだしました。
週に2-3回泊まり込みで依頼された資料をサービス残業で作らされ、食事代も出ない状態にもかかわらず、扱いがあまりにもひどいことがありました。
上記事例は今までの中の一つですが、明日までに論文を仕上げろとか、明日が休日なら今度の学会の要旨についてゆっくり考えられるななど20代から上司が他部門に移動する45歳までこのような状態は続きました。
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